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宇都宮地方裁判所真岡支部 昭和50年(ワ)16号 判決 1978年5月30日

原告

高松一郎

被告

熊代反宜

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

(原告)

「被告は、原告に対し、金七五八万〇〇五七円およびこれに対する昭和五〇年五月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言

(被告)

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

二  当事者の主張

(請求の原因)

(一)  本件事故の発生

1 日時 昭和四九年三月三日午後六時五分頃

2 場所 栃木県芳賀郡益子町大字益子一五二四番地五の国道上

3 加害車両 普通乗用自動車(栃五五す四〇九一)

4 加害車両運転者 被告

5 事故の態様 被告は泥酔状態のもとで、右加害車両を運転し、右場所を茂木町方面から真岡市方面に向けて進行中、同所を歩行していた原告に、その後方から激突し、原告を路上に転倒させた。

(二)  被告の責任

被告は前記加害車両を所有し、これを自己のため運行の用に供して運転中、本件事故を惹起したものであるから、自賠法三条に基づき、原告が本件事故により蒙つた損害につき、賠償すべき責任がある。

(三)  原告の損害

1 原告の受傷と治療の経緯および治療費

(1) 原告は、本件事故により、頭部外傷、左小指末節切断、右足関節骨折の傷害を受け、次のとおりの期間、治療を受けた

イ 通院 芳賀赤十字病院(真岡市)

昭和四九年三月三日より同月二六日まで、二四日間

ロ 入院 菊池病院

同年三月二七日より同年六月一一日まで、実入院日数五九日間

ハ 通院 国立栃木病院(宇都宮市)

同年六月一二日より同月二〇日まで

ニ 入院 右病院

同年六月二一日より同月二五日まで

ホ 通院 右病院

同年六月二六日より同年七月二一日まで

ヘ 入院 大泉病院(東京都)

同年七月二二日より同年一〇月二四日まで

ト 通院 国立栃木病院(宇都宮市)

同年一〇月二五日以降

(2) そして、原告は右治療のため次のとおり合計金五一万六六二四円の治療費を支出した。

イ 芳賀赤十字病院 金一万三一五〇円

ロ 菊池病院 金六万五二二〇円

ハ 国立栃木病院 金四三万四三五四円

ニ 松葉杖代 金三九〇〇円

2 後遺障害にもとづく労働能力低下による逸失利益

(1) 原告は、本件事件により、頭部外傷等の傷害を受け、そのため、精神障害の後遺症が発現し、労働能力が著るしく低下した状況に陥つており、この後遺障害は労働者災害補償保険級別第七級に該当する状態であるので、原告の労働能力喪失率は五六パーセントとみることができ、しかも、この後遺障害は終生にわたり継続するものである。

(2) ところで、原告は、昭和一一年一月四日生(本件事故当時、三八歳)の頑健な男性であつたので、平均余命(三三・五四年)を基礎にすると、向後、少くとも二七年間は就労可能と認められるところ、原告は、本件事故発生当時、次のとおりの収入を得ていた。

イ 年間農業所得 金四一万一八二六円

原告方年間総農業所得(昭和四八年度)は、金五一万四七八三円であり、原告本人の農業寄与率は八〇パーセントを下らないものと認められる。

ロ 年間給与所得 金九万四〇〇〇円

そして、一年間の右各収入の合計金五〇万五八二六円を基礎として、就労可能年数二七年、原告の労働能力喪失率五六パーセントを乗じ、複式ホフマン計数により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、原告の右逸失利益は金四七六万〇〇五七円となる。

3 慰藉料

原告は、本件事故により、前記のとおり長期間にわたり、入院・通院を繰返し、今もなお全治するに至らず治療を継続しているうえ、前記のとおり、本件事故にもとづく頭部外傷により精神障害が発現して、無口緘黙状態が続き、亜昏迷状態・健忘状態・自発性減退、感情鈍麻の状況に陥つており、この後遺障害が労働者災害補償保険級別第七級に該当するものであること前述のとおりである。原告は、本件事故により傷害を受けるまでは、健康で正常な社会人・家庭人として、生活してきたものであるのに、本件事故により、生れもつかぬ重度障害者となつてしまい、これがため、軽易な労働以外の労働に従事することができない不具者となり、その結果、農作業に従事することもできない状況に陥つてしまつた。

以上の情況からして、原告の精神的苦痛は極めて大きいことは明らかであつて、これが原告の精神的苦痛を慰藉するには、金七〇〇万〇〇〇〇円をもつて相当とする。

(四)  損害の填補

原告は、自賠責保険より傷害分として金八〇万〇〇〇〇円、後遺症分として金四一八万〇〇〇〇円の支払をうけ、また、被告から、治療費として金五一万二七二四円、松葉杖代として金三九〇〇円の支払を受け、さらに、見舞金として金二万二七七六円の合計金五五一万九四〇〇円を受領した。

(五)  結論

よつて、原告は、被告に対し、原告が本件事故により蒙つた総損害額から、既にその填補を受けた医療費金額と後遺症分四一八万〇〇〇〇円を控除した逸失利益および慰藉料合計金七五八万〇〇五七円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日たる昭和五〇年五月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求の原因に対する答弁)

(一)  請求の原因(一)および(二)は認める。同(三)の1の(1)は知らない。同(2)は認める、同2は知らない、同3は否認する。

(二)  原告の損害の填補については、原告主張のとおりである。

(被告の反論)

(一)  原告は、本件事故による受傷以前から、精神病的な傾向があり、もともと、原告の労働能力は通常人に比して相当劣つていたものであつて原告の農業に対する寄与率は五〇パーセント以下である。しかも、本件事故により、原告が頭部外傷の傷害を受けたとしても、それは受傷後数日で治癒した、せいぜい軽い脳震蕩を起こす程度の「瘤」であつて、本件事故により、原告が精神障害に陥るほどの頭部外傷の傷害を受けたことは全くない。従つて、原告に精神障害の後遺症状があるとしても、それは本件事故による受傷に起因するものではない。仮に、原告の精神障害が、本件事故に多少起因するものがあるとしても、原告が本来的に有していた潜在的な精神病が、本件事故か、あるいは原告に対する捜査官の事情聴取をきつかけに、多少、顕在化したものであつて、本件事故の原告の精神障害に対する相当因果関係の程度は極めて少なく、五〇パーセント以下というべきである。

(二)  さらに、原告に精神障害が発現したとしても、それは、原告が菊池病院に入院した昭和四九年三月二七日(本件事故から二四日後)から二週間位経過した際の医師の事情聴取に十分応答できる程度の極めて軽度のものであつて、現在では、すでに本件事故前の状態に回復して、稼働しており、原告が終生にわたり五六パーセントの労働能力を喪失したとすることはできない。

(三)  以上の諸事情に照らすと、原告の総損害額は、せいぜい金五三〇万〇〇〇〇円程度であつて、既に原告が受領している金員により十分填補されているものというべきである。

三  証拠関係〔略〕

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求の原因(一)および(二)、同(三)の1の(2)については当事者間に争いがない。(なお原告主張の損害の填補についても被告の自認は争わないところである。)

二  原告の受傷と治療の経緯および後遺障害

そこで、次に、原告の受傷(但し原告の頭部外傷の有無は後に判断)、治療の経緯および後遺障害について検討する。

(一)  証人久場川哲二の証言と同証言により真正に成立したものと認められる甲第四号証の一ないし五、同第七、第八号証、同第一〇号証、成立に争いのない甲第六号証、同第九号証、乙第二七、第二八号証、証人高野守夫、同菊池実、同大島一美、同高松ハル、同桜井武、同平塚利二の各証言、被告本人の供述(いずれも後記認定に反し採用しない部分を除く。)を綜合すると、次のとおりの事実が認められる。

1  原告は、本件事故により、左小指末節切断、右足関節骨折の傷害を受け、本件事故当日の昭和四九年三月三日から同月二六日までの間(治療実日数九日)、真岡市台町所在の芳賀赤十字病院に通院し、主として、断端形成術、ギブス固定等の治療を受けたこと(なお、本件事故により原告が頭部外傷の傷害を受けたか否かについては、後に因果関係を検討する際判断する。)

2  ところが、原告は、芳賀赤十字病院に通院していた際の同年三月二一日頃、突如、出奔して二~三日その行方が不明となり、付近住民や消防団員などが捜索して発見したり、芳賀赤十字病院において、奇声を発したり、診療拒否の態度を示したりの精神症状が出現したことから、原告の精神状態に疑念をいだいた同病院整形外科医師高野守夫は、栃木県芳賀郡益子町所在の桂慈会菊池病院神経科に原告の既応症の有無を照会したところ、同病院より、原告にはアルコール中毒症の疑いがあるので同病院で治療する旨の回答を受け、同病院に原告を転医させ、なお、同病院に対し、「診断・左小指末節切断、右足関節骨折、附記・昭和四九年三月三日、初診、直ちに断端形成、同年三月五日、ギブス固定して、通院加療中のところ、同年三月二六日、家出し、自分でギブスを除去し、精神症状出現」という内容記載の診察依頼状を発したこと

3  そこで、原告は、同月二七日、右菊池病院神経科において、医師高野敬太郎の診察を受け、その後、引続いて、同病院に入院して治療を受けたが、原告の初診時の所見は、稍々落付を欠き、問診などに対しても「忘れた」との応答が多く、不確実で、簡単な計算も不十分であつて、自己の家出行動などに関してもほとんど覚えがなく、錯乱状態のもとで行われたものと推定され、いわゆる朦朧状態にあるものと診断され、入院二日目頃までは寡言であつて、食事も余りとらなかつたが、徐々に応答するようになつて、入院三日目には、抑うつ状態もかなり好転するに至つたこと

そして、原告はその後約二週間ほどは、健忘があるものの徐々に落付いた応答をする状態が続いたが、その後、再び朦朧状態が出現し、拒食、拒薬、退院要求などがみられて稍々落付を欠いた状態が約一〇日ほど続き、その後、食事を素直にとり、経過も良好であつたところから、家族の希望もあつて、同年五月一五日、一旦、同病院を退院したこと

4  ところが、原告は、同病院退院後約二週間位経てから、再び、食事をとらなくなつたり、口数も少くなつたりという抑うつ症状に陥り、同年六月三日頃の夕刻頃、自宅において、ガス管をくわえたり、手や頸部を庖丁で切るなどして自殺をはかるに及び、同日直ちに、前記菊池病院に再入院し、引続き、同月一一日まで間、病院に入院して加療を受けたが、病状が回復しないまま同年六月一一日、家族の要望により、未治のまま同病院を退院したこと

5  この間の右菊池病院における脳波検査では、特に頭部外傷後遺症を疑うほどの所見はなく、また、脳背髄液の諸検査結果および眼底検査結果ともに正常であつて、同病院では、原告の症状につき「心因性精神病の疑」と診断していること

6  右菊池病院を退院した後、原告は、宇都宮市所在の国立栃木病院、東京都練馬区所在の大泉病院に、入院あるいは通院して、継続的に、精神神経科医師久場川哲二の診療を受けてきたが、同年七月二二日、右大泉病院に入院した際には、しばらくの間、亜昏迷状態が続き、自己の精神変調に関する健忘状態があり、同年一〇月二四日に同病院を退院する際は、顕著な自発性減退と感情鈍痳の状態にあると診断され、また、国立栃木病院においても、原告は、自覚症状郡としては、頭重感と耳鳴りを訴え、精神障害としては、著明な自発生欠如と軽度健忘が残存すると診断されていること

7  しかし、他面、この間に国立栃木病院および大泉病院で実施した数回の脳波検査では、国立栃木病院における第一回目施行時に、軽度の左右差があつたほかは、他に異常所見なく、また、脳血管撮影および脳背髄液検査とも異常所見はなかつたこと

8  原告は、昭和一一年一月四日生(本件事故当時三八年)の男性で、昭和三五年頃、妻ハルと結婚して、子供三人をもうけ、本件事故は、主として、父高松菊次郎、妻ハルとともに、約一町八反歩の農地を、テーラー、コンバイン等の農業機械を使用して耕作し、その傍ら、配管工事や建築工事関係のいわゆる「手間取り仕事」に出て稼働していたものであつて、原告の稼働能力は、格別に優れていたとはいえないまでも、右農業面においては、右農業機械も自ら操作し、その中心となつて稼働していたが、前記のとおりの精神症状が発現した後は、農作業においても積極性を失つて、稼働意欲がなく、自ら主体的に稼働せず、右農業機械等の操作も困難であつて、全般的に、妻ハル等親族の者達の訓導・助力なしには稼働しえないこと

さらに、前記精神症状発現後は、その以前と異り、いわゆる喜怒哀楽の表出がなく、寡黙で、生活意欲を欠いて昼間でも仰臥していることが多く、夫婦間の肉体関係も全くなくなつてしまつたこと

以上の各事実が認められ、また、昭和五一年一一月四日に開かれた本件第九回口頭弁論期日の原告本人尋問の際、原告は当裁判所に出頭したものの人定質問にも全く応答しなかつたため、右本人尋問を打切つたこと、および、昭和五二年七月一四日に実施した原告本人宅における原告本人尋問にあたつても、原告が、終始、目をつむつたまま床に仰臥し、裁判官の呼びかけに対して全く反応を示さず、右本人尋問の実施を不可能として打切つたことは、本件記録上明らかである。(もつとも、前記認定の原告の精神症状と日常の生活状態とに徴すると、原告の右各尋問の際の状況を恒常的なものとみるには、多大の疑念を挿し挾まざるをえず、むしろ、これは原告の裁判所の尋問に対する拒否反応ないしは拒絶対応とみるべきものではなかろうかと思料される。)

(二)  以上の認定事実を綜合すると、原告は、本件事故発生の一八日後である昭和四九年三月二一日頃、いわゆる抑うつ状的精神症状に陥り、現在では、顕著な自発性減退と感情鈍痳を中心とする精神障害にあると認めることができる。

三  本件事故と原告の精神障害と因果関係

(一)  そこで、すすんで、前記認定の原告の精神障害と本件事故との因果関係につき、原告が本件事故により頭部外傷の傷害を受けたか否かも含めて、これを検討する。

1  まず、原告が本件事故により頭部外傷の傷害を受けたか否かについてみると(イ)、証人高野守夫の証言によれば、同人は前記芳賀赤十字病院の整形外科医師で、本件事故当日から、他二名の医師とともに、原告の診療にあたつたものであるところ「原告の傷害は左小指末節切断、右足関節骨折であつて、当初、原告の頭部も診察したが、その頭部に瘤等の外傷があつた覚えはなく、原告本人が痛みを訴えることもなかつた。原告の精神症状が頭部外傷に基因するものと診断したことはなく、前記菊池病院へ既応症につき照会したところ、同病院からアルコール中毒症の疑いがあるとの回答を得たので、原告を同病院に転医させたものである。受傷後、相当期日経過後に瘤が発現することは、くも膜下出血の場合にみられるが、通常はない。」と原告が本件事故によつて頭部に外傷を受けたことを概ね否定する旨の証言をし、同人が作成した前掲甲第五号証(診療報酬明細書)、同第六号証(診断書)、同第九号証(自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書)のいずれにも、原告に頭部外傷があつた旨の記載はなく(ロ)被告本人も「原告には頭部に瘤等の外傷はなく、原告からその様な訴えもなかつた。」旨供述してこれを否定している。(ハ)これに反し、証人菊池実の証言によれば、同人は前記認定のとおり、原告が菊池病院にて治療を受けた際の同病院の医師であるが「高野守夫医師から頭部打撲に注意するよう連絡を受けたことはないが、同医師から、原告の後頭部に瘤があつたが、それは数日で消失したとの話を聞いた。」旨証言し、(二)証人大島一美は「本件事故後二〇日程経つた頃、原告から言われて見たところ、原告の右後頭部に手拳半分位の大きさの瘤があつた。」旨証言し、本件事故後に原告の頭部に瘤があつたことを肯定する趣旨の証言をしているのである。

2  右各証言および被告本人の供述のうち、原告の頭部に瘤があつたことを肯定する証人大島一美の証言は、同じくこれを推認させる証人菊池実の証言との間にも、その瘤の程度およびその存在した時期の点においてかなりの相違があつて、これをそのまま措信することができないが、証人高野守夫、同菊池実の各証言および前記認定の菊池病院、国立栃木病院、大泉病院で各々実施した原告の脳波、脳背髄液等の諸検査の結果を綜合すると、原告は、本件事故により頭部に打撲を受け、その結果瘤が発現したがそれは初診時から原告の治療にあたつた高野守夫他二名の医師が格別の関心もはらう必要もなく、特段の加療を要せずして、数日後には自然に消失してしまう程度の極めて軽微なもので、しかも、原告の脳実質自体には特段の病的変化をもたらす程のものではなかつたものと推認されるのである。

(二)  そこで、すすんで、原告の精神障害が、本件事故による衝撃あるいは前記認定の頭部打撲、左小指末節切断、右足関節骨折の傷害の精神面に及ぼした影響によつて引き起されたものか否かについてみると、

1  原告の前記精神障害の発生原因につき、(イ)証人久場川哲二は「他に原因がなければ本件事故が原因であると考えられ、原告が潜在的に精神障害の要因を内在させていたとしても、事故によつてそれが顕在化する場合もある。」旨証言しており、(ロ)証人菊池実は「原告の家族の者の話によると、昭和四九年三月一九日までは、原告に特段の変化はなかつたが、同月二〇日、警察での取調の際、他の被害者との供述の喰違を詰問され、それを契機として、原告に精神的変化が発現した、ということであるから、原告の精神障害は警察における取調の及ぼした影響で引き起されたものと思われる。また、原告あるいはその家族の者より、原告には若い頃から相当の飲酒歴があつたこと、一〇年程前から原告は朦朧状態に陥ることがあり、原告自身もその家族の者に、年に何回か夢を見ているような気分の時がある旨話した、と聴取している。そこで、原告には、アルコール中毒等という精神的変化の起き易い要因が潜在し、それがため警察での取調の際のシヨツクによつて精神障害が引き起されたのではないかと考える。一般的に交通事故等による軽い脳震とうとか外部的圧迫程度では精神的変化が起きることはないが、右のような潜在的要因がある場合にはこれが起こることがある。」旨証言し、本件事故が原告の精神障害の直接的原因となつたか否かの点については、むしろ否定的な証言をしているが、なおその断定はさしひかえている。(ハ)前掲乙第二七号証(菊池実医師作成の回答書)には、「芳賀赤十字病院での当初時の症状では意識障害などもなく、また精神症状の出現も三月二〇日、警察で調書をとられた際に同事故時の別の被害者との供述の喰違いを警官からなじられてからおかしくなつた、との当院初診時の家族の陳述なども参考として、現在の状態像は、今回の事故にかかわるものによる心因性のかたちと思われるが、本人は飲酒歴もあり、事故以前にも、頭がボーとなり、何かわからなくなることがあつた(本人、二八日の診察時に述べている。家族は強く否定)というようなこともあるので入院により、少し経過をみたい。(二八日付菊池実医師より高野守夫医師宛報告の内容部分)」との記載があり、さらに、同書面には「原告自身が、以前から酒も飲んだが、酒とは関係なく時々頭がボーとなつたり、自分で言つたことが、あとで虚のような気がすることがあつた、と述べたこと、菊池病院へ再入院後、病状が回復しない時点において、原告の家族に対し『当病院の診断は、事故当時には意識障害や精神症状もなく、頭部Pなど芳賀赤十字病院での結果や、当院加療中の病状経過、病状良好時の本人の陳述(事故以前にも時々わからなくなることがあつたなど)などから事故との因果関係は否定できないが、真の頭部外傷後遺症と確診できないので、もう少し経過をみなければ………。』と説明したところ、急に家族の希望により未治退院となる。」旨記載されている。

2  而して、前記認定の原告の本件事故による頭部外傷の程度、および他の受傷部位およびその傷害の内容・程度に照らすと、本件事故による衝撃あるいはそれによる受傷から、直ちに、前記認定の原告の精神障害が通常一般的に引き起されるものと、推認することは困難であると言わざるを得ない。かつまた、右(二)の1に説示した証人久場川哲二、同菊池実の各証言の内容および乙第二七号証(回答書)の記載内容を検討すると、原告には、そもそも、その原因は定かにはしえないが、アルコール中毒等という精神的変調を来たし易い要因が内在し、本件事故前にも、それが発現して原告が朦朧状態に陥つたり、いわゆる「夢をみているような気分」になることがあつたのではないか(この点、証人大島一美、同高松ハルはこれを否定するのではあるが)、また、原告の精神障害が発現した契機についても、前記三月二〇日の警察での取調・尋問がその契機となつたのではないか(ここで、原告本人尋問実施の際の原告の反応にも強い関心を持たざるを得ない。)という強い疑念を拭い去ることができない。

3  結局、当裁判所としては、原告の精神障害発生につき、本件事故による衝撃ないしは受傷が直接あるいは間接に、多少の条件を付与したことがあつたとしても、原告の精神障害の発生と本件事故との間に相当因果関係があるとの十分な心証を形成することができないのである。もつとも、前掲甲第七号証、同第八号証、同第一〇号証には病名ないし傷病名として「頭部外傷后(交通事故による頭部打撲)精神病」とか「頭部外傷後精神障害」あるいは「頭部外傷后精神病」といつた各記載がみられるが、右各文書を作成した証人久場川哲二の証言によれば、同人が原告の頭部外傷の有無、程度につき、自からこれを確認したものではないことが明らかであるから、右各文書の記載から、原告の頭部外傷と精神障害との間の相当因果関係を認定することはできず、また他にこれを認むるに足りる証拠もない。

三  結論

そうすると、原告の精神障害が本件事故と相当因果関係にあることを前提として、その精神障害にもとづく逸失利益および慰藉料を請求する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 太田雅利)

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